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アスリートからの伝言

フェンシングの魅力とは

聞き手 その2年で感じられたフェンシングの魅力っていうのは?

太田 フェンシングをやる人って、高潔な人が多いっていうか、インテグレイティッドな人が多いと思っています。社会にどう自分を発展させていきたいとか、フェンシングを通して感動・体験を提供するということであったりとか、子供たちに対して夢を伝えるということだったりとかもそうです。
僕たちは、今まで勝つという概念の中で楽しさを伝えようとしてたんですけど、フェンシングそのものの持つ魅力っていうのは、やっぱり努力している姿をお客さんたちに見てもらって、それが彼らの日頃の生活で「私もがんばろう!」「僕もがんばろう!」って思ってもらえるような、そういう取り組みなんだと思うんですよ。
駆け引きが魅力ですっていうのじゃ無くなりましたね。

聞き手 太田さんが日本人で初めて個人で銀メダルを獲得したり、団体でも銀メダルを獲得したりといったように、オリンピックで活躍したから、日本の中にフェンシングが広まったというのもあると思いますがいかがですか?

太田 あの時、僕は選手なので、選手にとっての最大の目標ってオリンピックの金メダルで、メダルを獲って人生を変えたいとか、メダルを獲ってフェンシングをもっとみんなに知ってもらいたいとか、正直、その程度のことしか考えて無かったと思うんですね。
現役を離れて2年、フェンシングがメダルを獲ったのに人気スポーツに変わらなかった課題は、どの辺りだったのか?ものすごく気づく2年でした。
それは、役割だと思うんですよ。選手には選手の目標があるし、協会の会長としては協会の会長としての目標があるので。
僕、本当に選手の時代の頃を振り返らないし、思い出さないんですよね。なんだろうな、今しか無いと思っていて、今できることをどれだけ精一杯やるかっていうことでしか未来は生まれないと思っているんです。過去から学ぶこと、歴史から学ぶことはあれど、自分の人生を振り返ることは、ふとした瞬間だけやこういう取材の時くらいしか振り返らないですね。でも、現役時代に仲間と闘った経験が、今の協会の運営や人を巻き込むっていう礎になっていると思います。

フェンシングが面白くなったのは21歳

Photo by:竹見脩吾

聞き手 太田さんは小学校3年生の時、お父さんがきっかけでフェンシングを始めたそうですが、最初から楽しいと思っていたんですか?

太田 僕がフェンシングを面白いと思うようになったのは21歳ぐらいなんですよ。それまでは面白いと思っていなくて、多分、フェンシングじゃなくても何でも良くて、上手くなる感覚とか、相手に勝つとか、勝って褒められるとか、特に小学生くらいの頃は、勝ったら親が喜んでくれるっていう、承認欲求ですよね。
その承認欲求を満たして行くためにフェンシングがあったって言って嘘にならないんじゃないかな。本当に、自分のためにフェンシングをやって「超楽しいな~。」と思ったのは親から自立してからですね。

聞き手 なぜ、そんな風に思えるようになったんですか?

太田 それまで親のためにやっていたのが、自分のためにやろうっていう風に切り替わる瞬間が来たんです。その時期ちょっと過ぎた辺りの頃、僕、京都から東京に出てくるんです。
やっぱり誰かのためにやっている間はダメですね。勝っても負けても自分のせい。責任の所在を人に委ねない。絶対に自分がやるって思えた辺りから、人生の選択を自分で決めているから後悔が無いんです。
やらされていると思うと、プロはきついですよ。
スポーツってすごく素晴らしいことだと思いますけど、プロとしてやっていくためには、それ相応の時間を失うわけですからね。自分が他のことをできたかもしれない時間を、その競技に充てるっていうことが、どれだけ人生にとってリスクが高いかってことを分かった上で挑んでいますからね。本当にきれい事じゃ無いですから。しかも、報われる人はほんの一部です。
だから僕は二兎を追ったら上手くいかないと思ったので、就職しないで北京オリンピックに挑んだんです。